型の理解は…

 夏らしい日々が続いています。真夏日に熱帯夜が続く日々は体調維持にとって大変ですが、何とか乗り切っていこうという気持ちをあらためて強くもちました。日々の生活の中には、大なり小なり様々な大変さがあるものですからね。

 昨今の感染症の流行から、治療法のマニュアル化が望まれるという話を聞くことがあります。その都度、頭の中で「?」という疑問が浮かびます。それは、お医者さんの仕事と教員の仕事の違いに関してです。
 あまり深く議論をするつもりはなのでさらりと書きますが、お医者さんの仕事ではマニュアル化が望まれるけれども、教員の仕事にはマニュアル化が臨まれないんだな、ということに、ときおり「?」が頭に浮かびます。もちろんですが、お医者さんの仕事は「患者の治療」であり、その目標も結構明確です。そのため、治療方法に対するマニュアルがあることはありがたいことなのでしょう。対して、教員の仕事は「児童生徒の教育(?)」であり(?)、個々の児童生徒によりその目標が異なるという見方があるためからか、画一的な指導となり得るマニュアル化が望まれないということなのかな、と思ったりします(日本語になっていますでしょうか、かなり歯切れのよくない文になってしまいました)。
 分からないでもないのですが、治療のマニュアル化の背景にも、なぜそのような治療をするとよいのかという理屈があり、お医者さんはそれを理解していらっしゃると思います。であるならば、極めて基本的な教育技術や指導方法及びその技術について、それらの利点を十分に理解した教員を育成するために授業のマニュアル的なもの、いわゆる型のようなものを、学生さんたちに身に付けさせることはよくないことなのかな…、と思ってしまいます。
 個人的には、子どもたちに対してまずは基本を押さえた授業がきちんとできる力を学生さんたちには身に付けてもらいたい、その後の発展的な指導方法なのかオリジナリティのある授業なのかはよく分かりませんが、そういったものを各自でつくり出していってもらいたい、そんなことを思ったりしています。きっと、私が研究者ではなく、元現場教員だからこう考えてしまうのでしょうか、ね。

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